村井康司
5 ぶらんこを昔下り立ち冬の園
6 晩鴉撒きちらす父なる杭ひとつ
7 蝉の穴蟻の穴よりしづかなる
8 火の気なくあそぶ花あり急ぐ秋
9 こぼれ飯乾きて米や痛き秋
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前句(「母ぐるみ胎児多しや擬砲音」)の、不吉な予感をはらんだ「胎児」から、句の世界は柔らかでノスタルジックな幼少年期の記憶へと移行する。もちろん「冬の園」なのだから、ここでの叙情性は、かなり硬質な、少年の薄い唇を思わせるものではあるのだが。「園」という単語のせいか、『真神』の中では珍しい、西洋的な雰囲気をたたえたこの句は、作者の「自
作ノート」(立風書房版『現代俳句全集 四』)によると、高橋睦郎の詩「ブランコ」(『ミノ あたしの雄牛』所収)に触発されたものだという。初出形は「ぶらんこを昔下り立ち四十年」だったが、下五が落ちつかないということで、<いっそのこと、「ブランコ」中の言葉をそっくりそのまま>借りたとのこと。
「四十年」が「冬の園」に変わったことによって、句に具体的な空間が生まれ、個人的な感慨は、普遍性を持ったひとつの小宇宙に変貌したようだ。「昔下り立ち」という、現在から過去を振り返っている記述の後にくる「冬の園」は、いったい過去に属するものなのか現在に属するものなのか。どちらともとれる……というよりも、ここでの「冬の園」は、通常の時間軸
上には存在しない、「異界」に属するものなのだろう。
この解釈は、書かれていないことを恣意的に付加する「深読み」ではないはずだ。おそらくは意図的に時間の流れを曖昧にさせた作者の叙法に沿ってこの句を読んでいくとき、読み手は時間の因果関係から切り放され、宙づりになった「冬の園」にたどり着くことになるのだから。
ただならぬ緊張感をたたえた句だ。まず、十七音でありながら、一般的な「俳句のリズム」で読まれることを拒絶した音律に注目しよう。この句を「ばんあまき・ちらすちちなる・くいひとつ」と五・七・五で区切って読むことは、たとえ無意識的にでもまずありえない。いや、俳句のリズムに慣らされた読者がそう読んでしまうことはありうるが、それはこの句にとって幸せな読まれ方ではあるまい。「ばんあまきちらす」までをたたみかけるような速度で読み、後半をややゆっくりと読む、という「八・九」の区切りでの読みを、内容と形式が一体となったこの句の「意味」自体が要請しているように、私には思えるのだ。
音韻的には、冒頭「ばんあ」の破裂音の衝撃(バン!)と、「まきちらすちち」部分での、「i」を含む無声音の多用が、緊迫した雰囲気を高めている。そして、句が語っている内容、という点でも、この句は『真神』で最も難解なもののひとつであるだろう。
素直に読んでいくと「晩鴉(夕方に飛ぶカラスだ)が杭を撒き散らす。その杭は<父>という属性を持っている。これはその内のひとつである」ということになるのだろうか。あるいは「晩鴉を撒き散らす、父であるところの杭がひとつある」と読むこともできる。どちらの解を選択するかで、イメージはがらっと変わってしまうのだが、私は前者のイメージを最初に思い浮かべた。不吉な声をあげる鴉たちが、人間の<父>である杭を撒き散らす夕暮れ。そのひとつが「私」の父であるのだ。季語はないが、この句から読み手が受ける印象は、明らかに晩秋から初冬の夕暮れだ。寒く、寂しい情景の中を群れ飛ぶ鴉と、杭という、どう考えても重要ではない「もの」になっている父。『真神』の中での「母」が、子(=話者)との近親相姦的な関係の中で、血の匂いと体温のぬくもりを感じさせる存在であるのに対して、ここで初めて登場した「父」は、その後の句の中においても、寒色のイメージを持つ、孤独な「ひとり」の存在である。
前の句のメルヘン的な雰囲気からの劇的な転換によって、われわれは『真神』の世界に、より深くひきずり込まれることになるのだった。
ちなみに、立風書房版『現代俳句全集 四』(昭和五二年)で、三橋敏雄はこの句を「真神」と題した章の冒頭に掲げている。句集『真神』の一三〇句から一一五句を自選した(*1)、同全集の「真神」で、作者はかなり大幅な配列の変更を行っているのだが、『真神』の冒頭の句としてあまりにも有名な「昭和衰へ馬の音する夕かな」の前にこの句を置いた、作者の意図は何だったのだろうか。
*1……立風書房版「現代俳句全集」は、作者が自選した四〇〇句を句集単位で配列し、「自作ノート」と題されたエッセイと解説を添える、という形式の全集だが、三橋敏雄が「真神」という区切りに収めた句は一三〇句。その内十四句は「拾遺」であり、「真神」本体には一一六句が収録されている。その内「涅槃会の水に穴あく鯉の口」は、端渓社版『真神』や立風書房版『三橋敏雄全句集』の『真神』の箇所にはない句であり、オリジナルの句集から選ばれた句数は一一五句、ということになる。
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切迫感と不安感をたたえた前句から、やすらぎと東洋的な諦観を漂わせる「静けさ」へ。晩鴉の寒いイメージから、夏の季語である「蝉」「蟻」への連結、という点も含めて、作者は、またも大きな振幅で場を転換してみせる。「蝉の穴の方が蟻の
穴より静かだ」というような、言われてみれば当たり前のことを、俳句という形式の上で「発見」してみせる技法は、三橋敏雄の最も得意とするところだが、この句の、「存在の哀しみ」を伴ったしんとした佇まいは、単なる「発見」のおもしろさということだけでは、もちろん説明することはできないだろう。
高橋睦郎は、『現代俳句全集 四』の解説「三橋敏雄の修羅道」で次のように言う。
<三橋敏雄氏の中には若年から純粋詩性と雑詩性と二つの方向性があった。(略)思うに、この二つの資質は三橋氏の裡で相剋し、とくに氏が師と恃んできた西東三鬼氏の死後、三橋氏のそのつどそのつどの分身たる作品の裡で相剋するようになったのではないか。
そして、このそのつどの相剋の記録、というより奔出をこそ、三橋敏雄氏の「純粋俳句は可能か」、さらに遡って「俳句とは何か」という自問であり、自答である、と私は見る。たとえば前掲の『真神』十三句ならば、「蟻の穴よりしづかなる」「蝉の穴」、それが俳句である、あるいは、「蛇捕の脇みちに入る頭」、それが俳句である、ということであろう。おそらく、俳句という独自な詩にはそういう具体的な問いかた、具体的な答えかたしか存在しないのだ。>
高橋睦郎のこの見解から、「『蝉の穴』とは俳句のメタファーである」という解釈を導き出すべきではないだろう。そうではなくて、この句を発想させるに至るある「認識」が、さらには文字列として具体的に定着したこの句の存在の総体が、「俳句とは何か」に対する答えになっているのである。
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華麗な句が目白押しの『真神』の中では、ついなにげなく通過してしまいそうになる、一見地味な雰囲気を持つ句ではあるが、よくみると実にいりくんだ構造を内包した作品だ。まず驚くのは、異様なまでの用言の多さ。「なく」「あそぶ」「あり」「急ぐ」と、ひとつの句の中に四つの形容詞・動詞を抱えた俳句というのはきわめて珍しいのではないだろうか。
俳句における動詞の数について、西東三鬼の俳句についての仁平勝との対談(『未完の三鬼』「俳句空間」十九号)での、三橋敏雄の以下のような発言がある。
<全体として動詞が多いというのは、確かにそうですね。それは三鬼ばかりじゃないんで、新興俳句がそういう感じで、それが悪い面では散文的に聞こえるところであり、そういう面を後々修正していくわけですね。(略)いってみれば欠点であったと同時に、それが魅力でもあったということでしょうね。俳句で何でも言える気になっていたときで、一所懸命に言おうとするとつい動詞が多くなって、いってみればおしゃべりなんだね。それが新風というか、モダニズムですよ>
もしかしたらこの句は、動詞を多用して、なおかつ「散文的」ではない句は可能であるか、という試みであったのかもしれない。ここでの動詞および「ない(なく)」は、「ない/ある」という存在をめぐっての対句的表現に二つが費やされ、残りの二つも「あそぶ花」「急ぐ秋」と、連体修飾語としての機能を担わされている。つまり、あからさまな動作・行為が目立たないような使われ方をしているわけで、あちこちにさまざまな動きをして「散文的」になろうとする動詞の指向性が、作者の技術によってうまく抑えられている、と言えるだろう。
とは言え、「あそぶ」や「急ぐ」が本来持っている大きな動作性は、連体修飾や対句表現(「花」と「秋」も対句になっている。もちろんここでの「花」は桜の意ではないだろうが、「花=春」という連想が隠し味になっていることは否定できないはずだ)によって凝固されられつつも明らかに残っており、そのせいで生じる違和感(特にだめ押しの「急ぐ」の存在が大きい)が、句の味わいを深く、重層的にしているのだった。
句意については、「あそぶ」「花」という多義的な語の存在が、さまざまな「深読み」を読者に誘いかけてくる。しかし、ここでことさらな象徴的・比喩的読解を試みることは、かえってこの句を楽しむための妨げになってしまいかねない。作者が提示したことばの連なりをそのまま受けとめて、読み手それぞれが脳内に、まるで印象だけが残っている夢の記憶のような「像ならざる像」をイメージするべきなのだろう。
「急ぐ秋」の次は「痛き秋」と、「動詞連体形+秋」を下五に配した句が並ぶ。前述の「現代俳句全集 四」では、「火の気なく」の句がこの句と切り離されて二十句めに回されているが、同じ傾向の句を続けて並べるという、『真神』では珍しいここでの配列法は、秋から冬へとゆるやかに移行していく『真神』のこの周辺での流れを、よりゆったりとした落ちついたものにさせている。
畳の上にこぼれ乾いた飯粒を裸足で踏み、かすかに感じる痛みとともに飯が固い「米」に戻った(本来の生米に戻るわけではないが)ことへの驚きを、あるとき作者は実感したのかもしれない。これもまた俳句でしか表現できない、いや、俳句以外の形式では表現しても意味のない「発見」なのだろうが、「痛き秋」という哀切な措辞が、それ以上の、読み手によってさまざまに異なる感慨をごく自然に導き出す役割を担っている。もちろん、こぼれた飯が乾いて米に戻った、というだけのことを詠む、俳句ならではの諧謔や、乾いた飯粒を踏んだ(とは書かれていないが、おそらくそういうことだろう)ことに「痛き秋」という大仰な措辞をもってくることの、真面目な顔をしたユーモアをも含めて、ここでの感慨はなお哀切で深いのだ。さきほど紹介した高橋睦郎の表現を借りれば、「それが俳句」なのである。
それにしても、この中七の最後に置かれた「や」のうまいこと! 下手に真似すると悲惨な結果に終わることはじゅうぶん承知していながら(そしてだいたいは「下手に真似する」ことになるのだが)、つい模倣したくなる細部が、三橋敏雄の俳句にはいたるところに散りばめられているのだ。(以下、次号)
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