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第六号

池田澄子氏インタビュー

「知らない誰かが知らない所で、私の俳句に『自分』をみてくれたら嬉しいですね」

聞き手・・・村井康司 寺澤一雄 東直子 長嶋肩甲 木綿 植松大雄



  俳句入門、そして三橋敏雄



村井 最初入られた「群島」という結社は、例えば有季定型とか、そういうような決まりみたいなのはあったんですか。

池田 全体は有季定型だったのね。だけど主宰は割と柔軟に受け入れてはくださったんですよ。でも有季定型で書いてましたね。有季定型じゃないと俳句じゃないっていうふうにみんな信じ込んでるっていうか、疑問がないっていう感じで。だって入ったきっかけが、主人の母がちょっと身体が悪かったんですよね。あんまり外へ出れないし。近くで何かないかなあって「俳句研究」で。そうしたら発行所が家の近くだったの(笑)。それだけなの。それで本を送ってもらったのね。いいかげんなんですよ

村井 俳句に興味を持たれたのは、そんなに若い時ではないんですね。

池田 ないのないのないの、全然。何か書きたいっていうのは子供の時からあったんだけれど、俳句は読むものと思ってなかったっていうか、自分の中になかったんですよね。いい悪いじゃなくてね。読む機会もなかったし、読もうともしなかったし、俳句っていう形式があるのは知ってたっていうぐらいでね。

村井 それがなぜ俳句に。

池田 それがすごく不純でね、他のことを書くのに、俳句はなんたって短いでしょ、参考になるかなって思ったわけ。団地に住んでて、そこに俳句をずっとやってた方がいらして、それで、回りの人が作ってみようっていうんで、一緒にやったんですよ。いくらでもできるのよね、そういう時って(笑)。そしてそれをそのおばあさんに、皆見せたわけ。そしたら「あなたどれぐらいやってらっしゃるの。観念ね」っていうふうにおっしゃったわけ。あっ、だめっていうのもあるんだな、って思ったの。そこでほめられちゃったらやってなかったかもしれない。きついものなんだなって思ってね。

 それからしばらくして「俳句研究」を見てみたら、阿部完市さんの句を読んでね、阿部さんの名前を私はその時覚えたわけでもないんだけれど、変な俳句があると思って。俳句ってこんなのもあるんだ、って思ったのよね。「兎がはこぶわが名草の名きれいなり」って、確かその一連だったと思うんだけどね。

村井 「群島」にいらっしゃった頃は、阿部完市さんの他はどういう俳人が好きだったんですか?

池田 もう全然、甘いんですよ。外なんて考えていないわけ。ただ集まって句会をしてるだけで、外のものを読もうとか、勉強しようとか、外の俳壇はどうなっているんだろうかとか、そういうのは全くなかったわけね。最初から向上心もないし、欲もないし、俗気もないんですよね。そこから始まったのはすごくいいことだったと思うんだけれど、あとで考えれば、あそこは無駄にしちゃったかなという感じはあるんだけど。だから、あまり意識的な読み方はしてなかったんですよ。

 で、三橋敏雄特集っていうのが「俳句研究」で昭和五十二年十一月にあったのね。それで、あっすごいなって初めて思った。外に出たことがないから、三橋敏雄はどういう人か知らない。だいたい外の俳人を見たことがないんですよ。だけどね、なんでその時にすごいと思ったのかなってあとで考えると、『まぼろしの鱶』と『真神』の違いね。おんなじ人がこんなふうにいろんなタイプのものを書くんだなって驚いたっていうのかな。最初から『真神』だけ見たら、できあがっちゃっていて、そこへ入っていこうとしなかったかもしれない。。それでいて、『まぼろしの鱶』よりもっと若い時の作品が生意気じゃないですか。私、あんな子供が書いたものに感動したくないって思ったぐらいでね(笑)。それで、ああやっぱり本気にならなくちゃつまらないなって思って。

 思ったんだけども、何かしようと思って、思ってからが私はお尻が重いんですよ。それですぐ二年、三年たっちゃうのね。とっかかりもないしね。なんとなく三橋敏雄っていう名前は意識して、年鑑なんかの作品展望を意識して見てたのね。そして「俳句研究」の「三橋敏雄論特集」っていうのが五年ぐらい後(昭和五十七年二月号)にあるでしょ。それを読んで。それに対して書いてる人たちの意見がとってもいろいろなわけよね、肯定するにしろ、否定するにしろ。坪内さんなんかは、割と否定的っていうか、『まぼろしの鱶』は俳諧的技法への違和を含んでいたけど、『真神』でそれを捨てたみたいな。歴史と繋がってなくて、自慰的だとか、そういう言い方をしてるでしょ。川名大氏なんかは……。

村井 「郷愁の俳人」だとかいうふうに。

池田 そうそう。あの人は「遍在的」っていう言葉を使ったのかな。そういう違いがまたおもしろいなと思ってね。他の俳句だとそういう批評にならないんじゃないかなって思ったのね。それで、もうここでお尻をあげなきゃしょうがないって決心して。決心したけど、どうしようもないですよね。何も知らないから。そんな話を「群島」の主宰の堀井鶏っていう人に言ってたら、その人は『真神』を持ってらして、じゃあこれを生き形見にあげるよってくださったんですよ。

 そんなこともあってね、何かしなきゃいけないなと思って、手紙を書いたんですよ、決心して。そしてお返事があって、今忙しいから、年が明けたら五十句書いて持ってきなさいって言われたのね。さあそれからが大変よね。わからないんだもの、自分でどの句がいいのか。まあしょうがない、五十句選んで持って行ったのね。持って行く前まで、二週間ぐらい、私下痢続き(笑)。

村井 神経性の(笑)。お腹にきちゃったんですね。

池田 そう、神経性下痢ですよね。俳句からみて、和服かなんかの感じを想像してたのね。そしたらカーディガンかなんか着て迎えに来てくださったのね、八王子に。そこでかしこまって聞いて。五十句持っていって、これはここがだめでしょ、これはここがだめでしょ、っておっしゃるの。そして五句ぐらいかな、やっとまあまあだというのが。それもね、これは句集の捨て句にいいって(笑)。句集っていうのはいい句ばっかりがぱーって並んでると息切れしちゃうから、ちょっと軽い句があるとまた新鮮な気持ちで読めるとね。それで帰って、やっと下痢は終わりましたけどね(笑)。

村井 それ以来三橋さんに師事するという形になるんでしょうか。

池田 私はずっと私淑と思ってたわけよね。最初の句集をまとめる時に、あとがきか何かに私淑という言葉を使ったら、「私淑、のち師事だね」っておっしゃってくださったのね。それから師事と、大きい顔をして(笑)。

寺澤 公認されたわけですね。

池田 そう言っていいのかなって。

寺澤 三橋さんって、弟子をとらないっていうので有名な方ですよね。

池田 そうです。弟子っていうのは師を越えなきゃ弟子とは言わないっておっしゃるのよね。だからそこはね、甘くそうおっしゃってくださったんだけれど。


  改作・推敲のこと



村井 三橋さんの指導っていうのはどういうことをするんですか。

池田 「だめ」ですね。このごろはだめ以外は…。

寺澤 ほめないっていうことですね。

池田 まずほめないですね。思っててもほめないっておっしゃるけども(笑)。

村井 だめの理由は言うほうですか。なぜだめだとか。どうだめだとか。

池田 「これはあるね」、がまずあるでしょ。それから言い過ぎね。「答えが早い」っていうのがいちばん多いですね。それと何だろうな。季語なんかの時に、「この季語じゃ支えきれない」っていう言い方をよくなさいますね。事柄の報告に終わってしまうっていうことかな。自分の句を読んでる時に、なんか違うなって思うでしょ。だいたいまずいところに赤線を引かれるわけですよね。だから自分の句に赤線が見えちゃうのよね(笑)。そこからが勝負だけども。平凡なもので終わってしまうか。

寺澤 直すんですか、それを。それとも、だめって言われた句を捨てちゃうか。

池田 まあ両方。改悪っていうのもあるしね。直したら良くなるっていうものでもないのね。おんなじレベルで直してもしょうがないわけだもんね。

村井 直すというのはよくされます? つまり最初に作った形から。

池田 しますします。自分の句がどこで終わったか忘れちゃうほど。それはね、やっぱり三橋さんに習ったことですごく肝に銘じたところっていうのかな、書きっぱなしにしないっていうか。ただね、ひょいと出たフレーズが結局はそこへ戻ることももちろんあるのよね。そういう時はよくできるのかもしれないんだけどもね。

寺澤 手ごたえがありますよね。

池田 そうそう。ただ、書き終わってほうっておくということはしないですよね。

村井 最終形っていうのは。例えば句集に載せた時点で、もうそれ以上はいじる気はしないですか。

池田 でも、まだ考えてるのある。失敗したかなって思っているのもあるしね。

寺澤 句集に載っている句で。

池田 うん。

村井 例えば『空の庭』とか『いつしか人に生まれて』から、ふらんす堂の『池田澄子句集』に持っていく段階ではいじらなかったわけですか?

池田 ええ。悪いかなと思ってね(笑)。

村井 いじりたいのはあったわけですか?

池田 これはいちおう句集からの抜粋だからね。でもまだその結論が出ないわけですよ。例えば「五十回春来て鏡囲いの刑」を「鏡囲いの朝」にしたの。で、攝津幸彦さんも書いていたけど、みんな「刑」がいいって言うのね(笑)。確かに「刑」の方が華やかだけれども、でもやっぱり私の書き方は「朝」でいいんだろうなと思っているんだけどもね。

村井 この間、ひとつ気がついたのがありましてね。我々の句会に来ていただいた時の句を……。

池田 そうなのよ。私、これはまだ考えているのよ。

村井 改作されて「豈」に出されてましたよね。

池田 改悪だったかな。

村井 「恋や切に富士山頂の凹みかな」っていうのがあったでしょ。それがね、こういう形に変わっているんですよ。「言語切なく富士山頂の凹みかな」。肩甲さん、どう?

池田 だめですか?

肩甲 いや、いいです。すばらしい。

村井 「日は西へ飛花は次々わたくしへ」っていうのも確かその時出されてた句なんですが、 それは変わってないんですね。

池田 ええ。「富士山頂」の句は、まだ考えているのよね。「恋や切に」は、ちょっと気障かなっていう気があったわけよ。

村井 これは「凹」の字の題詠だったんですね。

池田 だから句会っていいですよね。私こんなの、これ出されなければ書かないもん。

村井 これは句会のときにその場で作って、ここで一回変わって、もしこれが句集に行くとするとまたわからないということでしょうか。

池田 可能性はあるわね。結局いちばん大事なところは、いくらでも変わる可能性があるっていうか、ここが勝負っていうところがあるわけでしょ。「恋や切に」は、ちょっとかっこよすぎるかなっていう感じはあるわけ。どう(笑)?

木綿 気障っていうのはいつも考えていらっしゃるんですか? 嫌だなっていうのは。気障すぎるっていうか。

池田 でもかなり気障なのもありますよね(笑)。気障加減かなあ。


  俳句をどうやって書いているか


村井 第一句集の『空の庭』は、一句めと二句め以降の雰囲気ががらっと変わっているような気がするんですけれども、これはずいぶん初期の頃の句なんですか?

池田 そう。一応処女作という形にして(笑)。これ、本当の吟行句なのよね。

村井 これ、吟行句なんですか?「水無月の当て無き櫂の雫かな」。じゃあボートを見てとか、そういう句なんですね。

池田 そうそうそう。

村井 これをずっと読んでいくと、二句めからはもう完全に今の池田さんの世界なんですよね。でも一句めは、ちょっと今はこういう句は書かれない感じですよね。

池田 そうですね。でも私はそのスタイルの句はいっぱいあるわけですよ。選ぶ時に、自分の形を考えて出していかなくなっていってるのかもしれないですよね。

村井 今でも、自選しないようなタイプの俳句を作ることもあるんでしょうか。

池田 ありますよ。できちゃうっていうか。私はかなりいっぱい作りますからね。だから、明日句会だから今日作って持って行くっていうことはできないんですよ。作っておいて、年がら年中眺めて。飽きちゃうぐらいにね(笑)。だから自分にどういう句があるのか忘れちゃうぐらいあって。

村井 俳句を書くというのは、どういう時に書くんですか? 人によっては句会以外ほとんど作らないっていう人もいるぐらいだけど、お宅に一人でいらっしゃってどんどん書いていくんでしょうか。

池田 そうですそうです。私はほとんど家に一人でいるからね。だからいつも同じ場所に座って、部屋の中を眺めているんですよね。眺めたって何もないんだけれど。なんか癖で、よく何かないかなっててのひら眺めるの(笑)。眺めながら、今まで見たものを思い出すわけね。昔、本当に二十年も前に吟行に行った時の川を思い出したりとかしながら書くの。だから、ほとんど目的がない書き方ですね。

村井 日課として毎日とか、そういうことはしないんでしょうか。

池田 それはないです。昔はね、毎日書かないとなんか落ち着かない感じがしたけど、今は割にまとめて書いて、それをいじくってる(笑)。二句が一句になったりね。

村井 数をまず作っていくっていうか。

池田 自分の検討材料がないとつまんないですね。すらすら書きたくないんですよ。だからね、なんかひとつあるでしょ、ものにしろ、気持ちにしろ、何かの現象にしろ。そしたらとっかかりを書くわけよね。それに他のものを加えていくでしょ。加えていくときに、まだどういう句になるかがわからない、何を書きたいのかを決めないように、なるべくしてるのね。この言葉からとか、私は今こういう気持ちだからこういう気持ちを書こうっていうことはあんまりしない。それで、いろんなものを何かないかな、どういう気持ちかなって加えていって、その中で手探りみたいな気分ですよね。もちろんそういう時に歳時記をひろげることもあるし。どうなるかわかんなくて書いてる時がいちばんおもしろい。真っ暗な部屋に閉じこもってて、どこか出口を探してるっていうか、そういう感じがすごくいいんですよね。

村井 そのプロセスでどんどん文字化していきますか? つまり、頭の中から外へ出しちゃうっていうことをまずしますか。

池田 書きますね。だから一句書くのに紙がいろんな言葉でまっくろけになる。いろんな言葉をこれかな、あれかなって。ちょっと言葉が、「ん」って思う時があるじゃない。それが暗がりから出るドアみたいな気分で、ノブを回す気分、それが季語だったり、すごくつまらない平凡な言葉だったり、「てにをは」のひとつだったり、定型からのずらし方とかあるわよね。それでだらだらっとしただらしない雰囲気が出たりしておもしろかったりとか、あるでしょ。一字なくしちゃって、ちょっと字足らずにした時に、んっていうのが出たりするじゃない。これだ、このノブだって開けて、開けたら下がどうかわからないわけよ。すごくいい青空が出てる時もあるし、落っこっちゃったりすることもあるんだけれど。それがおもしろいのかなあ。だから、あと発表するのはどうでもいいんですよ、私。

村井 ところで、池田さんの俳句は有季の句が多いですよね。

池田 多いです。無季の句って、そんなに作れないと思うのよ。第一、季って入ってきちゃうよね。今ちょっと暑いなって思ったら、もう季が入っちゃうでしょ。だから有季にしようと思わなくて季が入ってくるのは、当然。半分以上そういうふうに入ってきちゃうと思うのね。だから無季の句の場合は、私は意識して無季にする時だけです。自然に無季の句は作らない。

村井 当季以外の句を作ることは。

池田 それは年中。だって何の句になるかわからないで書いてるわけだから。それは何も考えないですね。

村井 言葉としての季語というのは。例えば歳時記を見ていって、たまたま目に入った言葉をここに入れるとすごくよかったというようなことは。

池田 ありますよね。なんとなくぱらぱら見てて、これいいからこれで作ろうとか思うことももちろんあるし。それから、どうしてもここにとんでもないものを入れたいという時に、もちろん無季の言葉の何かでもいいんだけれど、無季の言葉で何か入れようっていうと、すごく大袈裟な言葉が出てきちゃったり、どうしてもするのね。季語の場合のほうが自然に出るかなっていうのもあると思うの。攝津さんなんかはね、季語は考えないっていう言い方をしていらっしゃるけども。私は無季にする時は意識的ですよね。普通の句は無季にならない。なんともなくって無季だと、なんともないんだもん。だから、無季にする時っていうのは、季があっちゃいけない時。季があると、この場のことになっちゃうとかね。そういう時は季を抜かすのよね。抜かさないと個人的事情みたいになっちゃう場合に。例えば「生まれる」とか「死ぬ」とか、「戦争」なんかももちろんそうでしょ。そういったものの時にはなるべく入れないで、すべてのものに通用するように書こうとしてるけど、思ってるだけで成功しないですけどね。

村井 例えば、季語に相当する別の言葉が入ってしまっているというか、重たい部分があって、それにもう一個季語を無理に入れるとくどくなるとかうるさくなるとか。

池田 ありますね。大きな主題があったら、季語が邪魔ということがあるわけでしょ。

村井 さっきの「富士山頂の凹みかな」は無季ですけれど、「富士山頂の凹みかな」で十分かなっていう。

池田 「言語切なく」も強いし、じゃあ、春だったら言語は切ないけど、冬なら切なくないのっていうことに。季を入れちゃうと。そういう時によけようっていうふうに思っているわけ。その富士山のは、飛行機から見たんですよ、たまたま富士山頂の凹みを。私は飛行機にあまり乗らないんだけども、いつも乗る時は曇ってたり雨だったりで、外の景色を見たことなかったの。松山に行く時だったんだけれどね。もう上から見て、ああすごいなっていうのがあったわけ。そしてこの「凹み」が出たんで、何か凹んでいるものないかな、あった、偉大なる凹みがあったと思って。

村井 題詠っていうのはお好きですか。

池田 好きっていうこともないんだけど、自分が書かない句を書くでしょ、題詠だと。例えば凹みだって、一人だったら凹みなんていうの書かないもの、私。例えば題詠で二十句作って、全部だめでもいいじゃない、一句たまたまできれば。だから、それでやった、得したって、それを楽しみにやるのね。だからね、私は題詠をする時は、どう書こうとか、自分らしく書こうとか、いい句書こうとか思わないようにして書くのよ。そうするとね、なんかひょいと、今まで自分はこういうタイプは書かなかったっていう句が書けるのではないかなあという、期待を持って。だいたい失敗かもしれないけどね、でもかなりありますよ。

村井 題詠の句会っていうのは参加される機会は多いんですか?

池田 あまりないです。

村井 それほど句会で題詠っていうのは一般的なことじゃないのかなあ。

池田 そうですね。だから作る時にね、ファクスで袋回しみたいに題詠やったりするの。そういう時はなるべく急いでやるんですよ。それから楽しむの(笑)。百句ぐらいめちゃくちゃあると、生きててよかったっていう感じですよ。

村井 それはいいですね、そのあとが。

池田 何か月かもつのよね。考えるのに。

村井 そう考えると、どんどん書いておくっていうのはいいのかもしれませんね。

池田 そうですよね。

寺澤 だけど書いてそのまま忘れちゃうっていう人もいるからね(笑)。

池田 あるある。でも自分が知ってることって限られてるでしょ。自分が思ってることだって限られてるじゃない。そうすると何かのショックで、えって、私こんなことも思ってたのかっていうのが書けないとつまんないと思うんですよ。だいたいが自分のわかってる範囲内でしか書けないんだけども。自分が思ってることを書こうと思うと、思ってることしか書けないでしょ。

寺澤 思ってることなんて書こうと思いたくないんじゃないかな、どうですか。

池田 そうね。何を思ってます、なんてことはあんまり書かないかもしれないですね。でも「言語切なし」なんて思ってることですものね。

寺澤 それはそう思ってるんだけど、下は違いますよね。

池田 そうなのそうなの。だからこれで「言語切ない」っていうことで一句書こうなんて思うと、なかなかこれは難しいでしょ。それこそ言い過ぎになる。

村井 思ってる部分っていうのは出さない方がいいっていうことなんでしょうか。

寺澤 ちょっと出せばいいんでしょ。

村井 ちょっと出すのか(笑)。

池田 どうなんでしょう。人が聞いておもしろいほどのことを思ってないかもしれないんだよね。それはあるわよね。そうするとあとは俳句の形式を借りて、何かができた時におもしろくなるのかしらね。


  フィクションとしての「家庭俳句」


村井 池田さんの俳句は文体的なオリジナリティーっていう点では日本一かもしれないですよね。

池田 そうですか?

村井 というのは、他の人の句と違って、読んだ瞬間にこれは池田さんの句だってわかるという部分がすごく強いんじゃないかなと思うんですけども。

池田 そうですか。それは三橋さんの教えでしょうね。

村井 こういう文体で書こうみたいなことを意識された時期というのはありました?

池田 それはね、たまたまそういう句を時々、偶然、偶発的みたいに書いていって、これもありかなとかって思うでしょ。だいたいの俳人は、これは俳句じゃないって言うかもしれない。だから、そこで踏み切れたっていうのは、三橋さんが、「これがお澄調だよ」って言ってくださった。それで、そっちへ行けたっていう部分はあるかもしれない。なんでもそうじゃない、絵でも映画でも音楽でも、絶対すぐ、これはこの人ってわかるじゃない。いいものって。やっぱり私ね、オリジナリティーがなくちゃ自己表現にならないんじゃないかとも思うのね。ただし、それはなかなか失敗がつきまとうわけですよね。ほとんどもの考えてない、なんかちょっとあほな書き手のようでしょ(笑)。

村井 それをかなり苦労していらっしゃるという。俳句はものすごく短いものだから、なかなかオリジナリティーと完成度っていうのは両立しませんよね。それを発見するのはすごいと思うんだけれど、ものすごくオリジナリティーのある俳句を書く人は何人かいますけどね、それがおもしろいかっていうとそうでもないっていうことがありますでしょ。

池田 そうなのよ。ただね、新しいものってすごく嫌悪感を感じさせるっていうのがあるよね、なんでもね。だから嫌がられたっていいやと。別にほめられなくてもいい。書いてどうっていうものじゃないですからね。と思ってるんだよね。なんで俳句がいいかっていったらね、役に立たないところがすごくいいのよ。普通の趣味でも、だいたいのことって役に立っちゃうのね。

寺澤 俳句は役に立ちますよ。

池田 役に立つ? 何の役に立つ?

寺澤 挨拶する時(笑)。そういう俳句作らなければ別にいいですけれどね。

池田 それはまあ、挨拶句が作れる、吟行句が作れる、即吟ができる。自分は俳人だって言いたければ、それはできなきゃだめだよね。とは思うよ、苦手だけど。

木綿 俳人の条件。

池田 うん。だと思う。自分が私は俳人ですっていうんだったら書けなくちゃいけないだろうと思うけど、私は書けないんだけど(笑)。

寺澤 俳人をそういうふうに定義しちゃいけない(笑)。

池田 でも最低条件じゃない、そんなの。と思うよ。それプラスよね。でもね、スポーツが好きだったら、スポーツをやったら身体が丈夫になっちゃったりするじゃない。何か作るのが好きでって作って、例えば、洋裁が好きだって洋裁したら、買わないで好きなもの着れちゃったりとかね、経済的だったりとか、家がきれいになっちゃったりとか。絶対役に立つけど、これは役に立たないのよ。

村井 「役に立たない度」というのはかなり強いかもしれないですね。

池田 強いでしょ。そうするとね、底無しだと思うの。

村井 かと言って、身体に悪いわけでもないですよね。

池田 私、悪い。

植松 ボケの防止ぐらいにはなるんじゃないでしょうか。

池田 それはかなり、私は耳に悪いわ(笑)。私はね、身体に悪い。

村井 それは、かなり緊張しちゃうからでしょうか。胃が痛くなっちゃうとか。

池田 ただ、わーっと作っている時はいいのよ。で、また調子良くできてる時はいい、身体に。だけどそうはいかないじゃない、だいたいは。八十パーセントはそうはいかないでしょ、気持ちも。もう生きていなくていいっていう気持ちになってくる、私。うまくいかないと胃が痛くなるし、さっきの下痢はするしっていう感じになっちゃってね、だめですね。だから続くんじゃないかと思うのよ。

 私、本当に趣味で、ちょっと木を彫ったりするのよ。そうすると使えるのよね。いっぱいになったり、いらなくなったりもするの。欲しくない人にあげちゃったりするわけじゃないの。俳句は書いて読んで、嫌だったらその人は読むのやめればいいわけだし。句集は来ると増えて迷惑っていうのはあるけど、邪魔だったら捨ててくれればいいわけだし。迷惑っていっても、忘れてもらえばいいわけだからね。そういうところが気に入っているんですよ。

村井 池田さんが書かれてる題材って、ある意味で非常にドメスティックっていうか、家の中のことが多いでしょ。

池田 だって家にいるんだもん、私。それも決まった部屋のおんなじ場所。おんなじ場所にいないと書けないようなことがあるのね。それが居間なのよね、書斎じゃないわけよね。だから主人なんかが帰ってきたらテレビもつくし。「定位置に夫と茶筒と守宮かな」っていう句があるんだけど、ひどい句だけどね、私の位置も決まっているわけね。書くなら他の部屋に行って書けばいいんだけど、おんなじところに座っていたいわけ。何を書きたいっていうよりも、何か書きたいっていう気分なわけでしょ。そうするとやっぱり暮らし、それからお台所のことも多いしね。

村井 家庭のことっていうのは、フィクショナルなんでしょ、きっと。

池田 そうそうそう(笑)。

村井 でもいかにもフィクションじゃないようにみえるところがおもしろいですね。

池田 本当? それはそう言っていただきたいのよ(笑)。だいたい全部嘘っていえば嘘ですよね。本当がちょこっと入ってる。どうでもいいのね、実生活は。例えば外で木を書こうとか思うのと、家でパセリを見たらパセリを書くのとおんなじ気分なわけね。で、家でどういう暮らしをして、って、なんかどうでもいいの、私、自分が。

木綿 どうでもいい……。

池田 うん。全然興味がないの。世の中にも興味がない。だからね、そうなっちゃうんですね。自分にもあんまり興味がないっていうか、自分は単なるこういう存在がひとつあるよっていう興味なわけね。だからフィクションもなにも、おんなじなんです。私の頭の中で、大きさが。

村井 昔の言葉ですけど、台所俳句っていう言葉がありますでしょ。

池田 よく言われますよ。

村井 言われます? でもなんか違いますよね、それは。台所俳句のメタ化というか。

池田 どうなのかしらね。まあ、台所のものが出てくるから。

村井 一見、現代の台所俳句っていう感じもするんですけども。

池田 それは川を見にいって橋があったっていうのと、家で水道のところに蛇口があるっていうのがおんなじ価値なわけ。

村井 吟行しない俳人でも、もっと観念的、抽象的な方に行く人がいますでしょ。使っている言葉は虫だとかでも、非常に典型的な例では、河原枇杷男さんとか。そういう人はいかにも密室で作っていますよっていうのがわかるけども、池田さんの句は一見写生してるみたいじゃないですか。

池田 それはね、私はそういうふうに書こうと思ってるわけ。いくら自分にとってすごく大きい主題とか、そういうものがあって書いた場合でもね、いかにも本当に台所で大根を切って大根の句を書いてるっていうふうに書こうとはしてるんです。それはかなり意識的。私はあんまりいい主婦じゃなくて、そんなにお台所のことをよくやるわけでもなんでもないんだけどもね。そうじゃなくて、家のことなんにもしないでぼーっと考えてて、それを何で表現しようかっていったら、いかにも本当にその日の暮らしの中でやってるように書こうとは思ってるんですよ。

村井 そのことと、文体上の、口語的なものを俳句で使うというのと、すごく関係が深いんじゃないかと思うんですけども。

池田 そうですね。かもしれない。大上段に書きたくない。大上段の題もあるんですよ、私の中に、たまにはちょっとね、これでもね。あるんだけど、それをいかにもこうやってしゃべっているようにっていうか、つぶやいているようにっていうか、そういうふうに書こうっていうのは意識的かもしれないですよね。そうすると、口語の方が、いかにもただぼそぼそってつぶやいているみたいな感じは出しやすいっていうのはありますよね。

村井 でも、全体の比率からすると、や、かな、けりはそんなに使わないわけじゃないですよね。使ってますよね。

池田 ありますあります。使ってます。

村井 でもそれが浮かないのは不思議ですよね。句集を読んでいると、完全に会話体になっているのと、そうじゃないのが違和感ないんですよね。それは意識されてるのかなと。

池田 それは意識してますね、並べる時なんかもね。それから、できたらそれを一句の中でやりたいっていうのを思ってるんだけれど、なかなかそれが難しいのよね。妙なずれっていうか、かちっとかみあわせないで、なんかゆらゆらしてるみたいにして、口語とね。それから、普通にこうやってしゃべっている時に文語使うことあるでしょ? ちょっとふざけるような時とかに。

東 「なになにしたまえ」とか。

池田 そう、例えばね。だから文語も、話言葉の中で文語を使うことがあるように使いたい。でもね、それには短いのよね、俳句って。だからその中で操作するのはとっても難しいから、なかなかできないんですよね。

村井 表記法みたいなものはかなり凝られるんでしょうか。平仮名にするかとか、漢字をあてるかとか。

池田 凝ってはいるんです、これでも。凝ってはいるんですが。

村井 それは視覚的な意味で。

池田 そうですね。それから、意味がはっきりしすぎないように平仮名にしちゃうっていうのもあるしね。それがその、わーっと書いてからの作業の醍醐味。


  渡邊白泉・阿部青鞋 


村井 三橋さんのお仲間というか、先生に例えば渡邊白泉がいますけど、白泉忌の句が二句ありますよね。

池田 ええ。私ね、三橋さんを知ってよかったと思うなかに白泉を知ったということもありますね。そうじゃなくても知ったかもしれないけどもね、割と本気で知るきっかけを作ってくださったことになると思うのね。白泉は三橋さんの句にないものがありますよね。そこはくやしく思ってるんじゃないかな。

村井 白泉のどういうところがお好きですか。

池田 私はやっぱり戦争の句が好きです。あんな俳句はないよね。なかったと思うんですよ。他の、あとで書いた句なんかも本当にしみじみといいんだけども、やっぱりどこでびっくりするかっていったら、私は戦争の句。「玉音を理解せし者前に出よ」とか。

村井 以前、「未定」で、ライバルへの手紙っていう企画で白泉に宛てて書かれていましたでしょ。

池田 あっ。よく読んでる(笑)。そうそう。「ふつつかな魚のまちがひそらを泳ぎ」のことでね。でね、会ってないわけですよね。写真を二枚ぐらい見たことがあるぐらいで。俳壇とかね、大家とかね、そういうものを全く感じさせないっていうか。それはその時にいろんな評論も書いてらっしゃるしね、そういう時にどういう人だったのか私は知らないけれども、あの句を読んだなかでは、そういうものを全然感じないのね、私はね。白泉の戦争や兵隊の句って、川柳と本当にすれすれだけども、あれは俳句だと思うのね。

村井 「繃帯を巻かれ巨大な兵となる」とか、そういうような句ですね。

池田 悲しいというか、優しいというか。繃帯で巻かれて、その巨大っていう言葉の大きさ。本当に一度会いたかった。

村井 白泉も口語的な句がありますけれども、やっぱりそれも池田さんが口語的な句を作るのと関係するのかなあ。

池田 無意識ではあった。無意識だったけど、知らないところで感化されたかもわからないですね。それは今まで全然思っていなかったんだけど。でもああいう口語の句とまた別に、おとなしいでしょ、そのあとの句は。だけどもほんとに小さいところで泣かせますよね。でもね、あの玉音の句はね、みなさんは聞いてないからあれだけどね、私はもうすごい句だと思ってるの。

村井 玉音放送って、池田さんは小学生ぐらいの時ですね。

池田 そうなのよ、聞いたのよ。田舎にいたんですよね、父の田舎にね。普通に遊んでたの。古いね(笑)。すっごい暑い日で普通に遊んで、お昼だから帰ってきたのよ。ごちゃごちゃ人がいて、なんだろうなあと思ったのね。天皇陛下が何かお話があるらしい。そのうち何か声が聞こえてきたんだけど、全然なんだかよくわからない。そうしたらおかしいのはね、大人たちも田舎だから空襲も別になかったし、あんまりぴんとわかってないんですよ。休戦になるって言ったのよ。ああそうか、休戦かって思ってね、じゃあまたいつ始まるのかなってその時思ったの。そしたらあれ、終わったままだなって思ったんだけどね。

 テレビでその玉音をよくやるでしょ、敗戦記念日に。去年その放送があった時に、聞こえるのよ、ちゃんと。だからきっと、雑音をとったんでしょ。そうすると、俳句の方が歴史をちゃんと伝えると思った。あれは困った。

村井 あと、阿部青鞋という方の句はお好きですか。

池田 そうね、好きでしょうね(笑)。ちょっと似たところあります?

村井 そうですね。

池田 かもしれないですね。

村井 むしろ渡邊白泉より青鞋に近いと思います。

池田 あんまり読んでないんです、私。ちょっとやばいと思って。『ひとるたま』をいっぺん読んだんだけども、ひっぱられるとやだなと思ってね、やめたんです。

村井 確かにかなり似てるところがありますね。

池田 あれって思ってね。あの人はもう本当に、さっささっさと早く書くということを、三橋さんは言ってらしたわね。


  人間の普遍性に訴えたい


村井 次の句集はもうそろそろご用意されているんですか。

池田 いえ、全然。

村井 『池田澄子句集』でちょっと未刊の部分を載せていらっしゃいますが。

池田 そうですね。ちょっとおとなしいでしょ。

村井 そうですね(笑)。

池田 人間がおとなしくなってしまってるかしら(笑)。だからわからないですよね、どうなっていくのか。どうなろうと思いたくないのよ、結果であって。これから例えば十年どういうふうに、こういうのを書いていこうっていうのはないんです。男性は割にね、自分で計画を立ててこういうふうにしていこうっていうのあるでしょ。

肩甲 あるの?

寺澤 ……ない(笑)。

肩甲 一雄さん、今すごい照れてた。

池田 こういうふうに変えていこうとか。

村井 そういう計画がなきゃだめだって言われそうですね(笑)。

池田 私はそれはしないで、変わらなかったら変わらなかった、でも変わっちゃうと思うのね、良くも悪くも、どっちにいくか知らないけど。だから結果として、ああこういうふうに変わったなって、あとで思えばいいかなって思っててね。

村井 なるほど。個性っていうか、オリジナリティーと、マンネリというのとは近いでしょ。紙一重といいますか。

池田 そうなの。だからね、あんまり意識しないで、ただ作っていってみようかなって。私の書き方はこうかなとかそういうことをあまり思わないでね。無心になんてことはできないし、ちょっとそういう感じで書いていってみて、それで何年かたって、ああ、こういう手があったんだなって思ったら、ちょっとそれで固めるとかってふうにできたらいいなと思うけど、なかなかね。

村井 自分で作った俳句に対する人の意見とか批評は気になるほうですか。

池田 あんまりならないほうかもしれない。聞きますよ。で、ああそうか、って。そういうふうに読めたりもするんだなっていうのはとっても参考になるからね。聞くし、悪いところを指摘されるのは好きですよ。まあほめられれば気持ちはいいかもしれないけどね。でも、あんまりそれで一喜一憂はしないですね。

村井 ほめ殺しはしないでくれって池田さんがおっしゃったということを、攝津さんが「豈」に書いてましたよね(笑)。

池田 そうそうそう。あれみっともない。言ったの、本当に言ったの。

村井 まあ、俳句の世界っていうのは、全く外部の人からの批評っていうのは聞こえてこないっていうこともあるでしょうね。

池田 聞こえてきにくいですよね。

村井 句会なんかでやっているのは、批評というのとはまたちょっと違いますよね。

池田 違いますよね。句会仲間だとこういう意味だろうってわかっちゃうっていうのがあるから。それから私は、生意気なんだけども、俳句ってすごく俳句をやってないとわからないところがありますよね。特に凝ったところなんかは全然わからないでしょ。だから、それで通らなくちゃいけないし、それは前提ね。だけど、そこで通ればいいか、俳人がいいって言えばいいのかっていう思いはあるんです。私たち子供の時から、いろんなものをちょこちょこ読んだりして、わかんないんだけど、それなりにすごく切なくなったりしてきてるわけでしょ、人のを読んで。私、最初は啄木なのね(笑)。中学校の一年生の頃に、啄木にほとんど。あれは、啄木が十二歳だか三歳の少女の母性本能を引き出したんですね、きっとね。感動とかなんとかじゃなくて、もう切なくて切なくてね、本を枕の下に敷いて寝たりしたの(笑)。

木綿 夢みました?

池田 そう、もう夢がみたくてっていう感じで。案外みないんだよね、そういうのって。かわいそうとも違うのね。一緒に切なくなっちゃうのよね。で、そういう思いをしてるときには、全然知らないよね、文学的な評価なんていうのは。やっぱり俳句もね、俳句を知ってなくても、読んだ人に、そういう思いを与えるというか。

村井 確かに俳句っていうのはそういう点では。

池田 寂しいところあるでしょ。

村井 インパクトというか、訴求力というのは弱いところがありますよね。

池田 弱いところあるよね。

村井 例えば虚子の句集を枕の下に敷いて寝る少女っていうのはちょっと考えつかないという感じがしますよね。

池田 そうよね。うまいなとかね、それはあってもね。それができたらね、ひとりでいいわよね。それも知らない人がいいよね。知らないどこかで、全然私を知らない人が、たまたま俳句も知らないんだけど、そういう思いを誰かひとりしてくれたら、もう俳人冥利というか、うれしいことだなあと思うけど。

村井 きっといますよ。

池田 いるかなあ。

村井 知らない人だからわからない。実はいるんですよ、きっと(笑)。

池田 この間ちょっと引用して書いてくださった方が、お医者さんでね、割に俳句や短歌を読んでて、それを引用してエッセイを書いているんですよね、産経新聞かなにかに。それにとりあげてくださってたのを、とてもよくちゃんと読んでてくださってね、やっぱりわかるんだなあって思ったの。それは「生きるの大好き冬のはじめが春に似て」っていう句だったんだけど、「生きるの大好き」の裏に「大嫌い」があるっていうことでね、冬のはじめの春に似てるっていうことは、春に似ているけど冬なんだっていう、そのへんのこともちゃんと書いててくださって。

 なんか俳句を知らなくてもわかってもらえる書き方をしたいですね。それは媚びとはちょっと違うと思うのね。それにはやっぱりあんまり密室的な言葉を使わない。おんなじ意味でいろいろあったら、なるべく平凡な言葉を使うっていうか。思ってるだけでね、結果はまた別ですよね。

 私はひとつのことをこうだって思えないたちで、それがいいか悪いかはちょっとわかんないんだけどね、これは正しいってなかなか思えない。いろんなものに全面あるわけよね。状態でもなんでも、面になってこっちが正面じゃなくて、球体で中もあるし、外も全部あるっていうふうな思いがあるからね。そうすると、こっち側を書いても、こっち側からも読めてもいいなと思うわけよね。ほら、現象っていうのは、みんなそれぞれたいしたことではないわけでしょ、生きてる中で。糸屑みたいなものがいっぱい重なってこんなになって丸まってるものみたいな感じがするのよ。その中から糸口探して、ぴっとこう引き出して、この一本を書く。またどっかの糸口探して、こっちもこう書く。そうすると、それ全部が糸屑の丸いものになれば、いろんな人がそこでそういう思いをしているところに繋がらないかなと思うんだけど。

村井 普遍性みたいなものですね。

池田 やっぱり普遍性をもたせないと。私のことをわかってもらって何なのっていうところはありますよね。だから、人間がいっぱいいるなかでたまたま私っていうのがいて、草がいっぱい生えているなかの一本の草であって、だけどこの草はやっぱり、これひとつ書けば草だっていうようなね、そういう書き方ができればいいですけどね。

村井 それは非常にわかりますね、読んでると。そう考えていらっしゃるとね。

池田 考えていても、結果っていうのが、この短いなかではなかなか難しいですね。だからそういう意味で俳句に名前がくっついたほうがわかるっていうのも確かにある。


  俳句は私を変えた


村井 啄木がお好きだったとおっしゃっていたけれど、短歌に行かないで俳句に来たっていうのは何か。

池田 行きそうだったの。なんか思い出話になっちゃうんだけど、私は全然そういう才能も別になかったしね、ただ子供の時から何か書きたい子だったわけよね。なんとなく書いてたんですよ。そしたら中学校の時に、国語の先生が、書いたのを持ってらっしゃいって。で、ただ書いてあったものを持っていったのね。そしたらそれをガリ版で詩集を作ってくださったんですよ。こんなに作ってくださって、表紙をちゃんとつけて題をつけて、序文かなにかくっついているわけ。

木綿 池田さんだけに。

池田 そう。私、序文頼んでないのに。序文なんていう言葉も知らなかったけどね。で、家の母ものんきだからお礼も言わないんですよ。その頃、体操をしてたの。その体操のクラブの先生が絵やなんかがうまい人で、その人が版画みたいに表紙を作ってね(笑)、作ってくださったの。その題がね、笑っちゃうのよ、『もの恋うる心』っていうんですよ。私、その題が気に入らなかったわけ。我ながら恥ずかしいわけよ。で、私は詩集とかだったら『紫陽花』とか、例えばそういうような(笑)、何かあるじゃないの。『みだれ髪』じゃないけど。『もの恋うる心』って、やだなあと思ってね。

東 おじさんくさい名前ですね。

池田 ねえ。でも、もうできちゃってるのよね(笑)。それでね、その序文だか跋文だかに、なんだらかんだらこう書いてあって、「『教えて』少女は叫んだ」とか書いてあるわけ。私、叫ばないって(笑)。私、教えてなんて言った覚えはない、とか思ってね。それでね、私、先生に冷たくしたの、それから。お礼も言わずに逃げ回ったのね。

 そんなことがあって、それからなんとなく書いてたんですよ。それね、ずっとこの間まであったのね。いよいよ私、死んでそれを誰かが見たら恥ずかしいと思ってね、泣く泣く捨てた。

村井 捨てた? もったいないことを。

肩甲 もったいない。

池田 死んじゃって見られたら困ると思ってね。で、ちょっともったいないかなと思ったけど(笑)。いいのだけ選ぼうかなあなんて思ったけどね。もう赤裸々なのよ(笑)。もうフィクションじゃないわけ。

村井 それは詩ですか。

池田 詩です。どうしようかなと、一週間ぐらいそのへんに置いておいて、捨てようって思って捨てたのよ。で、それは自分は作品だと思っていたけど、作品じゃないんだよね。要するに恋をしたら人はみんな詩人になっちゃうっていうでしょ。それなんですよ。そうか、だったら夫に残しておけばよかったわねえ(笑)。それでね、そういうふうにずっと書いてたんだけども、なんかやっぱりね、ちょっと恥ずかしいんですよ。やっぱり詩は恥ずかしいなって思ったんだけど、だから、それは本当の作品じゃないから恥ずかしいわけよ。思ってることを書いているんだから。でね、じゃあ短歌にしようかと思ったの。短歌にしようかどうしようかって。で、考えてもすぐ実行しない人だから、そんなことを思ってたら、俳句にひょいと行っちゃったの。でもきっと、私は短歌に行ってると、それの延長だったと思うのね。

村井 詩の。

池田 うん。俳句って、そういうものを全部切り捨てさせられるでしょ。そうしたらね、人間が切り捨て切り捨てになっちゃって、もうなんかさっぱりしすぎちゃった(笑)。本当はもっとね、ああだこうだ、ぐちゃぐちゃと言いたいタイプだったのね。だから、俳句は私を変えたね。

村井 もちろん、そのもともとの性格というか、指向というかはベースになっているんでしょうね。

池田 なんかぐちゃぐちゃ考えてる人でしたよ。日記をつけて、お腹のへんに入れて歩いてるとかね(笑)。人生はわからないね。私が俳句を書く人になるなんて思いもしないし、こんなさっぱりした人間になっちゃうっていうのも思いもしなかったしね。だからこれからもね、わからないと思ってるのね。だから自分を決めて書きたくないのよ。自分で、あとでびっくりしたいなと思うんだけどね。

東 俳句やってる人ってさっぱりした人が多いんですか、全体的に。

池田 そうみたい。どうしても、俳人の女の人のほうがなんか男っぽくて、俳人の男性のほうが女っぽいところがある。

肩甲 そうかなあ。

池田 どっちかっていうと。そんな感じがする。

木綿 中性的になるっていうか。

池田 そうね、そうだと思う。だから今からやってる人はうらやましいですよ、こんな若い時から始めてる人。

村井 少なくともわたしは、若い時から始めてないですよ(笑)。

池田 若い時からやっとけばよかったな、っていうのはあんまりないのね。やっぱりその時期だったからやりたくなったんじゃないかなっていうのがあるからね。ただね、その最初の何年があまりにものんきにやってたっていうのがね、ちょっともったいなかったかなあって思うけどね。でもその時に三橋さんの実物を知ってると、ちょっと手紙書いて行くっていうのはなかったかもしれないですよね。

寺澤 人を知ってるっていうことですか。

池田 そう。普通の人間とは思わなかったわけ。啄木とおんなじ。歴史上の人物じゃないんだけど、そういうちょっと違った目でみたから、手紙が書けたんじゃないかなあ。

村井 じゃあそのあとから加速度的にのめりこんでいくという。

池田 そうだと思う。だから、『空の庭』の句はそのへんから多いのかな。その前はすごく長い期間でちょっとでしょ。

村井 七年間が、十何ページですね。

池田 のんびり時代、だと思う。いい捨て句だって言われたのはね、「花なずな胸のぼたんをひとつはずす」。私の句は立て句になりにくいのよ。それはある。

村井 それは、あまり立て句的なものは作らなくてもいい、と思っていらっしゃるからでしょうか。

池田 なかにはちらっと立派なのがあってもいいかなとも思うけどね(笑)。でもかたまらないで、柔軟でいるのっていうのは難しいことですよね。もう絶対に、今までに常識がきちっと頭に入り込んでるからね。まっさらな目でとかって簡単に言っても、なかなかまっさらにはならないですね。

村井 ご自分の今までのキャリアで、あの時期はすごく調子がよかったとかっていうのはあります? そういうふうに今思える時期っていうのは。

池田 今思って? あまり変わらないかなあ。

村井 スランプの時期と、高揚する時期とっていうのはあるほうですか?

池田 すごく大きく一年間とか、そういうのじゃなくてははありますね、それは。わーっと書けると、そのあとがわーっと書けないっていうかね。で、書こうと思うんだけど、毎日言葉をちょっとふたつみっつ書いて、それで一日終わってしまうっていうみたいな。それで何日か終わったあとで、自分は同じ気分なんだけども、突然書け出したりね。

村井 そのだめな時に何か事態を改善させるいい方法ってないですかね。

池田 知りたい(笑)。私はね、そういう時しょうがないから、おんなじに書こう書こうと思うわけ。普通の人はよく、他の句集を読んだり、他の本を読んだりとかっていいますよね。あんまり意識しない。それにほら、その時書けなくて注文に応じられず困るっていうわけじゃない、それほどそういうものじゃないから。別に書けなかったら困るっていうものでもないのよね。ただ自分がなんかおもしろくない、気分が悪いっていうだけでね。でも必ずね、この気分が悪いのがずっと続いていくと、突然書けるって思ってるわけ、私。一か月書かないとか、そういうのはもう、ありますよね。特に、他に、例えば人のものを読まなくちゃいけない時があるとか、そういう時は、忘れる。なんかね、自分の句のことを頭に置いておいて人のを読むと、すごく意地汚くなるのよ。ここから収穫はないものかみたいな、すごく意地汚いという感じがして、なるべく忘れちゃって読むようにしてるのね。

 だからこのところは、攝津さんの後遺症で全く書けないですね。でも、そのうち書けると思ってるの。書けないかもしれないけど。

村井 確信をもっている。

池田 そう。書けなかったら、それはそれでしようがないしね。
   (一九九七年 二月八日 新宿にて)